敗戦62年・「八・一五」新聞社説を読む/天野恵一(2007年8月)

 8月15日を「終戦記念日」とする歴史意識は、戦後の政治支配者とマス・メディアの合作で、つくられつづけてきたものである。それは天皇の「玉音放送」(「御聖断」)により日本国民は戦争から解放されたという政治神話を再生産し続けるものであった。

 こうした問題について、近年やっと批判的な歴史分析もなされだしてきた。この神話をつくりだしてきた、新聞自身に、こうした点への反省が、どの程度うまれているのか、まずこういう問題関心を もって、かなりの地方紙を含む、8月15日の社説に目を通した。

 『日経新聞』には、降伏文書に署名した9月2日が国際的には「終戦」の日であることがふれられていたが、「八・一五神話」づくりの反省はなし。

 『沖縄タイムス』は、この問題を、6月23日に沖縄戦が終ったとはいえない事実をも示しつつ、固有に沖縄の歴史(沖縄で降伏文書の調印は9月7日)にこだわることで、この政治神話を切り崩してみせている。『琉球新報』にも、こうした問題意識は示されている。残念ながら、他には発見できなかった。

 さて、各紙全体に、ほぼ共通するトーンは、こうである。

 今度の参議院選挙で、安倍自民党は大敗した、この大敗は、年金、「政治と金」問題が大きな理由としてクローズアップされているが、それだけでなく、「戦後レジームからの脱却」をかかげた、国家主義政策(教育基本法「改正」・防衛庁の省への昇格、集団自衛権容認への動き)の展開、とくに平和憲法を変えてしまおうという国民投票法づくり、こういう暴走(強行採決にもよく示される)への国民の不安が、この結果をうみだしたのだろう。この「戦前回帰」への拒否の声は正当だ。この「敗戦の日=不戦の誓い」の日に、あらためて戦争の悲惨さを想起することが大切だ。戦争体験者がなくなってしまいつつある今だからこそ戦争の記憶を語りつごう。こんな具合だ。

 右翼メディアである『産経新聞』のような、靖国神社への首相らの参拝がないことを、なげくような主張は、地方紙では、私が読めた範囲では『北国新聞』(石川)のみ(もっとも『産経』はこの日は靖国参拝問題への言及は避けている)。

 こうしたメディアをも含めて、戦争の悲惨さを直視し、その体験を想起し、語りつぐことの大切さが一般的に力説されているのだ。

 そして、安倍の「戦前回帰」路線と対立的に、戦後の経済成長に支えられた「平和」の賛美が語られるのである。

 ここには、その「成長」が朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需に大きく支えられた「戦争」(血)にまみれたものであったという、当然にもおさえられなければならない、歴史認識がスッポリ欠落している。もちろん「特需」とアメリカの侵略戦争への全面協力(日米安保体制による)とは対応している。

 戦後の「平和」は「戦争」に支えられ続けてきた事実が、まったく無視されているのだ。

 もっと驚いたのは、各紙が、今日の「平和」を守れと主張することで、今日、日本がアフガニスタン戦争、イラク戦争に参戦しているという現実(すでに参戦国!)を隠蔽して論を展開している点だ。

 アメリカ帝国を中心とする侵略戦争(占領)に、いま、まさに加担している日本の現状を無視して、守るべき日本の「平和」を語る、インチキさには、あきれる(「平和」な戦後の欺瞞に切り込んでいるのは、先にふれた沖縄メディアだけである)。そして、アフガニスタン・イラクの戦争に具体的にふれているのは『神戸新聞』だけである)。

 かつての戦争の悲惨さを、具体的に認識し続け、それを歴史的に直視し続ける作業は、今日「平和憲法」は、すでにボロボロにされており、日本の軍隊はまたも海外に派兵され、侵略に加担してしまっている現実を直視することと重ねられなければならないはずだ。

 ところが、かつての原爆を含めた戦争被害のすさまじさを想起せよとの主張は、平和憲法によって戦後は「平和」であり続けているというインチキな認識を前提になされているのだ。

 もちろん、平和憲法は、日本の戦争国家化のブレーキとして機能し続けてきていることも事実である。しかし、「解釈改憲」でボロボロにされてきてしまい、ブレーキもきかなくなってきている事もまちがいない事実なのだ。明文改憲は、このブレーキの最終的解体である。

 こういう危機感(現実認識)が各紙の「社説」にほぼ共通してない。こういう「戦後民主主義」の「神話」が、まだ多くの新聞を支配しているのだ。
[8月30日記]